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東京地方裁判所 昭和43年(ワ)817号 判決 1972年11月30日

原告

今西次夫

右訴訟代理人

小川景士

外一名

被告

合資会社伴鋳造所

右代表者

伴豊

右訴訟代理人

伊藤静男

外一名

主文

一  被告は、原告に対し金三、五〇〇、〇〇〇円および内金三、二〇〇、〇〇〇円に対する昭和四三年二月一三日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は五分し、その三を原告の、その余を被告の各負担とする。

四  この判決の主文第一項は、仮に執行することができる。

事実《省略》

理由

一事故の発生とその原因

原告が昭和三五年一〇月項被告に雇傭され、以後鋳造作業に従事していたところ、昭和三七年八月二一日午前八時三〇分頃頭部挫創および頭蓋骨亀裂骨折の傷害を負つたことは、当事者間に争いがない。

そこで、原告の受傷原因について判断する。

<証拠>を総合すると、原告は、昭和三七年八月二一日朝前日使用した被告の工場構内にある一瓲熔解炉(以下本件熔解炉という)内に残留しているインゴット(廃鉄)やコークスの後始末を終え、次いで熔解炉内壁の調査のため炉内へ入り、炉底に立ち、片手ハンマーをもつて炉壁を叩きつつ炉壁内部に張つてある耐火煉瓦の消耗度等を点検していたところ、突然炉上部より銑鉄塊らしき物体が落下して原告の後頭部に命中したため、その場に昏倒したことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

ところで、<証拠>によれば、熔解炉内壁には、炉底に立つ作業員の頭上約四五糎の高さまで銑鉄塊が付着することのあることが認められる。また、<証拠>によれば、本件熔解炉は、炉底より約三米の高さ付近に二箇所鉄製の継ぎ目があり、同部分にも耐火煉瓦を張つてあるが、煉瓦が消耗した場合右継ぎ目部分が露出し、そこへ銑鉄塊が融合付着することもあることが認められ<証拠判断省略>。そして、原告の受傷時に、本件熔解炉上部より何者かが何らかの物体を投げ込んだことを認めるべき証拠はないから、右原告の受傷は、本件熔解炉内壁に付着した銑鉄塊の落下に起因するものと推認するほかはない。

二責任原因

(一) 雇傭契約は、労務提供と報酬支払をその基本的内容とする双務有償契約であるが、通常の場合、労働者は、使用者の指定した労務給付場所に配置され、同じく使用者の提供による設備、機械、器具等を用いて労務給付を行うものであるから、雇傭契約に含まれる使用者の義務は、単に報酬支払に尽きるものではなく、右の諸施設から生ずる危険が労働者に及ばないよう労働者の安全を保護する義務も含まれているものといわなければならない。

ところで、労働保護法たる労働基準法その他同法付属、関連法令は、使用者に対し労働者の作業過程における安全衛生につき保護すべき事項を規定し、行政的監督と命令違反に対する刑事罰とをもつてその実効を期しており、その限りにおいて、使用者の右義務は、国に対する公法上のものといえるが、しかし、そのことの故に、右義務が雇傭契約上使用者が労働者に対して負うべき私法上の義務たりえないものと解することはできない。

そこで、本件の場合、被告は、原告に対して具体的に如何なる義務を負うかの点につき検討する。

本件熔解炉の内壁調査が原告の担当作業であつたことは、当事者間に争いがなく、<証拠>によれば、右作業の手順は、まず本件熔解炉建物の二階に赴き、熔解材料投入口に嵌め込んである鉄製目皿をはずし、次いで六〇ワットないし一〇〇ワットの裸電球を電源より引いたコード先端に装着して炉内へ吊り下げ、その照明により炉壁に付着している銑鉄、コークス等を棒でつつき落し、これを終了してから目皿を置き、同建物一階に降り、炉底に乗つて炉内に入り片手ハンマーもしくはタガネで炉壁を叩きながら耐火煉瓦の消耗度を調査し、あわせて炉下部の付着物を除去するものであることが認められ、右作業内容からすると、熔解炉投入口からの照明の具合もしくは作業員の不注意により見落された銑鉄塊その他の炉壁上部の付着物が、炉底において作業員が片手ハンマー或はタガネで炉壁を叩いた際の震動により作業員の頭上に落下する危険性があるものと解される。

なお、労働安全衛生規則(昭和二二年一〇月三〇日労働省令九号)一二九条の二第一項は、物体の飛来又は落下による危険のある所定の作業において、労働者の頭部傷害を防止するため、使用者は、当該作業に従事する労働者に保護帽を着用させなければならない旨定めており、本件熔解炉内壁の調査作業は、右所定の作業に該当しないものである。しかし労働省(労働基準局安全衛生部)においては、右規則所定の作業以外の作業であつても、その作業の性質上物体が飛来又は落下して労働者の頭部を傷つける危険のある場合には、当該労働者に保護帽を着用させるよう使用者に対し指揮する方針であることが<証拠>によつても認められる。

以上の検討によれば、本件の場合、使用者たる被告は、原告に対し、熔解炉内壁の調査作業において通常予測される落下物の衝撃に耐え得る程度の強度を有するヘルメットその他の保護帽を備え付け、これを着用させるべき義務を負担しているものと解するのが相当であるところ、<証拠>によれば、被告は、右に説示したヘルメット等の保護帽を備え付けず、着用もさせていなかつたことが認められるから、被告は、原告に対する雇傭契約上の保護義務を履行しなかつたものといわざるを得ない。

(二)  被告は、右義務の不履行につき帰責事由がない旨を主張する。しかしながら、<証拠>によれば、被告は、従業員二〇名前後(この点は当事者間に争いがない)の小企業であり、その職務分掌も内規等により明確にされていたわけではなく、もともと個人企業であつたものを会社組織に変えたにすぎず、資本金も三〇〇万円であり、その使用する土地建物は右代表者個人の所有である等、被告はいわば、その実体において右被告代表者の個人企業と異ならないところ、右被告代表者は、本件事故当時、鋳造業の経営につき約一四年の経験を有し、業務の全般につき直接監督を及ぼし得る立場にあつたもので、前叙のごとく本件熔解炉の内壁に銑鉄塊等の付着することについても知つていたことが認められるから、たとえ被告が抗弁(一)で主張するような事情があつたとしても、これをもつて本件保護義務の不履行につき、被告に帰責事由なしとはなしえず、他に、右帰責事由の不存在を認めるに足りる証拠は存しない。

したがつて、被告の免責の抗弁は、採用することができず、被告は、本件事故により生じた後記損害を賠償する義務があるものといわなければならない。

三損害

(一)  逸失利益金

金二、三〇〇、〇〇〇円

1  損害の算定

本件事故当時、原告は被告より日給月給制による給与の支払いを受け、その平均賃金は七一五円一〇銭であつたことおよび毎年八月と一二月には賞与としてそれぞれ一四、〇〇〇円、一〇、〇〇〇円の支払いを受けていたことは、当事者間に争いがない。なお、<証拠>によれば、原告は、昭和三七年一二月に臨時の給与なる名目で一四、〇〇〇円の支給を受けていることが認められるが、これが前記賞与同様毎年必ず支給されるものであることを認めるべき証拠はない。以上を基にして、次に原告の逸失利益を算定する。

(1)  本件事故時より復職までの間の逸失利益    金  二一、八八三円

原告が本件事故直後より昭和三七年一〇月一杯まで欠勤したことは、当事者間に争いがなく、この事実と<証拠>とによれば、同期間中原告は本件事故による傷害のため就労が不能あつたことを推認しうるところ、右期間(昭和三七年八月二一日より同年一〇月三一日まで七二日間)の原告の得べき収入額は、右七二日分の前記平均賃金に昭和三七年八月分賞与一四、〇〇〇円を加えた額すなわち六五、四八七円となる。同期間に原告が労災保険金二九、六〇四円を受領したことは、当事者間に争いがなく、また、<証拠>によれば、原告は、昭和三七年八月分賞与一四、〇〇〇円の支給を受けていることが認められるので、右の得べき収入より右賞与を差引いて得べかりし利益を求め、これより右労災保険金を控除すれば、その残額は、結局二一、八八三円となる。

(2) 復職時より退職時までの間の逸失利益   金 二〇三、一一六円

原告が昭和三七年一一月一日被告に復職し、昭和三九年八月末日をもつて退職したことは、当事者間に争いがないので、右期間(昭和三七年一一月一日より昭和三九年八月三一日まで六七〇日間)の原告の得べき収入額は、右六七〇日分の前記平均賃金に六二、〇〇〇円(昭和三七年一二月分賞与、同月分臨時給与、昭和三八年八月、一二月分賞与 昭和三九年八月分賞与の合計額)を加えた五四一、一一七円となる。<証拠>によれば同期間中原告は、本件事故による頭部外傷と、これによる雇主との感情的もつれとに基づく後記後遺症に悩まされ、その治療のためもあつて欠勤しがちであり、そのために給与(賞与も含む)としては合計一五九、五四〇円を受領したのみであり、また労災保険金一七八、四六一円を受領していることが認められる(右各受領の事実は、当事者間に争いがない。)ので、前同様得べかりし利益を求めれば、結局五四一、一一七円から右受領金員合計額を控除した残額である二〇三、一一六円となる。

(3) 退職後将来における逸失利益     金 三、四〇五、九三八円

<証拠>によれば、原告は、受傷後てんかん様発作、胸内苦悶などの症状に屡々襲われるようになつたので、昭和三七年九月から所医院で頭部打撲による外傷性脳神経症との診断により通院治療を受け、昭和四〇年六月以降は刈谷病院において、自律神経発作との診断により二か月ほど入院し、その後も通院して治療を受けたが、その結果は思わしくなく、昭和四一年末実弟を頼つて上京し、昭和四二年一〇月以降東京医科大学病院において、頭部外傷後遺症による外傷性神経症との診断によつて通院治療中であり、その間、医師の勧めによつて二、三回就職を試み努力したこともあつたが、いずれも叙上後遺症のため永続きせず、その後は、生活保護と妻の内職に頼つて生活していること、現在、頭部の外傷は治癒し、脳波等に異常を認めないが、未だに、不安感、胸内苦悶、心気亢進、手指振顫、不眠等の頑固な症状に悩まされていること、これらの症状は、本件事故による頭部外傷に起因する神経症であるが、これには、几帳面な原告の性格や事故後における雇主との感情のもつれ、失職、転居等の環境の変化に対する原告の反応など心因性の事情が関与しているため、症状は本件事故直後に比し軽くなつており今後も治癒の傾向にはあるものの、全治の見込みは立たず、再起不能の可能性もないわけではないこと、なお、事故後半年ほどして視力が低下し、現在では、裸眼視力が0.02(眼鏡による矯正視力は0.1)となり、瞳孔不同症も認められるが、これらの原因は不明であり、本件事故との因果関係は、明らかでないこと、現在原告が稼働するとしても、店番程度の軽易な労務以上のものに服するのは無理であり、それとても、右神軽症の発作があれば、就労の妨げとなることが認められる。これらの事実によれば、本件事故と右後遺症たる外傷性神経症との間には相当因果関係があり、右後遺症のために、原告の稼働能力が低下したものというべきである。

そこで、右認定の稼働能力低下の程度につき検討するに、前記(2)の説示から復職期間中における得べかりし利益の喪失率を算定すれば、約七〇パーセントとなること、逸失利益の算定を控え目にするため、原告の収入を事故前の低額のままに据え置き、その後の昇給やベースアップを見込んでいないこと(稼働能力の喪失率は、ひつきよう逸失利益算定の便宜のためのファクターにすぎないから、右喪失率の決定につき、右のように収入の低額なことを考慮することも許されると考える。)、それに、労働省労働基準局長通達(昭和三二年七月二日労基発五五一号)による労働能力喪失率表をも併せ考慮するならば、前記後遺症による原告の稼働能力喪失率は、六〇パーセントと認めるのが相当である。

<証拠>によれば、原告は、昭和三九年九月一日現在満二八才(昭和一一年二月二五日生)の男子であることが認められ、当裁判所に顕著な第一二回生命表(厚生省統計調査部作成)によれば、満二八才の男子の平均余命は42.75年であり、被告において定年制を実施していることを認めるべき証拠はないから、本件事故以前の原告を撮影した写真であることに争いのない<証拠>より推認しうる原告の本件事故以前における健康状態およびその職種等をも勘案すると、原告は、満六三才まで向後三五年間稼働しうるものと推認される。そこで、右稼働能力喪失による逸失利益の退職時たる昭和三九年九月一日における現価をホフマン式計算法により年五分の中間利息を控除して算出すべく、三六五日分の前記平均賃金に毎年八月、一二月に各支給される賞与合計二四、〇〇〇円を加え、これに就労可能年数三五 年五分の法定利率による単利率年金現価指数19.917を乗じ、さらに右喪失率0.6を乗ずれば三、四〇五、九三八円となる。

2 損害の分担控除

前叙のように、原告の後遺症は、本件事故に起因するものではあるが、原告の性格等心因性の要因も密接に関与しているのであるから、このような場合、右後遺症によつて生じた逸失利益を全部被告に負担させるのは相当でなく、右心因的要因の関与度に応じ、これを賠償額軽減の事情として評価し、過失相殺に準じた割合的控除をなすのが、当事者間の労働契約上の信義則ないし損害の公平な分担の理念に叶う所以であると考える。

そこで、この点を、以上認定の事実に基づいて勘案するに、前記1で算定の逸失利益のうち、(1)については、心因的要因は軽度であつて控除する必要なく、逸失利益は二一、八八三円にとどまり、(2)については、(1)よりも心因的要因が強くなつていることが窺われるが、その一因は雇主との感情的もつれにもあること故これまた右控除は相当でなく、逸失利益は二〇三、一一六円にとどまり、(3)については、本件事故後かなりの年月を経ているのになお症状残存する点において心因的要因の強いことを考え、一割強にあたる金額を控除して逸失利益は三、〇〇〇、〇〇〇円とするのが相当である。

結局逸失利益合計額は三、二二四、九九九円となる。

3  過失相殺

本件熔解炉の内部調査作業の手順は前認定のとおりであるところ、本件事故当日原告が炉内へ入り調査を行う前に、炉上部の投入口より炉壁付着物の確認をなしたか否かは、<証拠>によつても明らかではなく、仮にこれを行つていたとしても、確認の手順により判明し得た筈である炉壁付着物を棒でつつき落しておけば、本件事故の発生も或は防止できたものと考えられるから(このことは、<証拠>によつて推認できる。)、本件事故の発生には、前記炉上部よりの事前確認の不履行もしくはその確認が不十分であつた原告の過失も一因となつているものと解される。

右原告の過失割合は、三割弱と解するのが相当であるから、前記2の逸失利益の合計額三、二二四、九九九円につき右過失相殺をすれば、結局、被告において賠償の責に帰すべき損害額は、二、三〇〇、〇〇〇円となる。

(二)  慰藉料 金 九〇〇、〇〇〇円

以上に認定してきた原告の傷害の部位、程度、治療経過、後遺症、その心因的要因、原告の過失および年令等本件にあらわれた諸般の事情を考慮すれば、原告の本件受傷による精神的苦痛に対する慰藉料は九〇〇、〇〇〇円と認めるのが相当である。

(三)  弁護士費用

金 三〇〇、〇〇〇円

<証拠>によれば、原告は、その主張のごとく法律扶助協会東京都支部を通じて本件訴訟の提起と追行とを原告訴訟代理人に委任し(選任の事実は当事者間に争いがない。)、同協会は、昭和四二年一一月三〇日訴訟費用実費のほかに原告代理人に支払うべき手数料として三五、〇〇〇円を原告に代つて原告代理人宛立替払いしたこと、本件完結後原告は、同協会に対して前記立替金を返還するとともに、同協会の決定した額の成功報酬を同協会を通じて原告代理人宛支払うべき旨約したことが認められるが、本件事案の内容、訴訟の経緯、本訴認容額、その他諸般の事情を考慮すれば、本件事故と相当因果関係にある被告に負担させるべき弁護士費用は三〇〇、〇〇〇円をもつて相当と認める。

四結論

以上の次第であるから、その余の判断をするまでもなく、原告の本訴請求は、被告に対し金三、五〇〇、〇〇〇円および内金三、二〇〇、〇〇〇円(弁護士費用を除く。)に対する本件訴状送達の翌日であること記録上明らかな昭和四三年二月一三日以降支払いずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度において、理由があるからこれを正当として認容し、その余の請求を失当として棄却する。

よつて、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条、仮執行の宣言につき同法一九六条をそれぞれ適用して主文のとおり判決する。

(沖野威 佐藤邦夫 大沼容之)

目録<省略>

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